草の上の記し

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Black Cyc の世界④〜夢幻廻廊〜

 ……ようやく朝の光がいっぱいにさしはじめ、踊っていた連中も残らず帰ってしまうと、ステファン卿と司令官とは、Oの足もとで眠っていたナタリーを起こし、それからOを立ち上がらせ、中庭のまんなかへ引っぱって行って、彼女の鎖と仮面をはずし、彼女をテーブルの上へ押し倒して、二人でかわるがわる彼女を犯したのである。 

     『O嬢の物語』(澁澤龍彦訳)より

 

 

 

 これは踏み込んだエロゲ批評ではないです。ただの私のオナニー、雑記です。紹介し、見えてくるBlackCyc世界に自由に各々が触れるというものです(すこしでも感じてくれたら幸いです)。でもこれを見てやりたくなったら是非、この世界に踏み込んでみて下さい。きっと満足させてくれるでしょう。

 

 

 

 『夢幻廻廊』は小夜子、蟲、吸血鬼を経て2005年に発売された、マゾを中心に置いた特異点

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 対象を扇情、陵辱、殺人。これらを堂々と見せてきたこの世界が、ペットライフADVとして提出してきた。この作品はBlack Cycのもう一つの顔と言っても良いだろう。

 

 

 

 物語のさわり

 『僕には、何もありませんでした』

 自分が何者かわからない裸の主人公は目が覚めると二人の女性を認めた。「環」というお屋敷の女主人と従者である「麻耶」。「麻耶」は主人公が門の前で倒れていたという。何から何まで持っていず、覚えていない不安な彼の中に「環」の声が反響する。

 –そう……妾があなたを拾ったの–

 –どうしたの?–

 –道に迷っていたの?–

 彼にはこの言葉を何度も聞いたことがあり、訳もわからず涙を流した。

 –あなた、何処へも行く場所がないのね……?–

 「環」の声は彼に突拍子も無い言葉を言わせた。

 『ぼくを……ここに置いてください』

 『いくところが……ないんです…』

 それを聞いた彼女はにっこりと微笑み、彼の手に触れた。

 『ど、どんなことでもします。だから……』

 彼は彼女に許しを請うようにお願いをし、知らず知らず興奮を覚えた。

 –自分の居場所は、誰かの役に立つことで得られるものですよ–

 彼には何も無かったから不安になった。続けてお屋敷の女主人は言った。

 –あなたがそうあることを望むのなら、かとるとして屋敷に置いてあげましょう–

 彼にはかとるという言葉に聞き覚えがあったがわからなかった。だが自然と彼は受け入れた。

 『は、はい……そうさせてください……』

 そうして「環」は彼に「たろ」という名前を与えた。彼は自分が以前から「たろ」だったのではないかと感じた。

 喜びを感じながら主人についていくと、四人の女性が待っていた…。

 かとるはいっぷを受けるのが日課のようらしく、交代(プレイヤーが選ぶ)でその四人の女性の中の一人からいっぷを受けることになったのだった。

※かとる 家畜みたいな存在 

※いっぷ 調教

 

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たろ

 

 

 ゲーム内容

 先述した物語のさわりから始まるループモノ。第一段階から始まり、最終段階まで計八段階。それぞれの段階で適したルートへ進めば次の段階へ行ける。同じ日でも赤の日と黒の日と分けられ、少し内容が違う。違いはいっぷの内容や展開である。

 こうして段階を経ることに「たろ」がかとるとして活きがよくなってくる。ここまで言っていなかったがこれは主人公を調教していく内容だ。我々はそれを眺めて楽しむのだ。

 中でも「たろ」が自ら進んで主人に気に入られるように暴力を振るうシーンが好きです。

 ループの中で急に従者と主人関係の純愛物語のようなモノに発展するのも面白い。

 

 小夜子、蟲、吸血鬼と来ていきなりのMをテーマにした作品は異質でありながら、それは決して外部のものではなかったとプレイすると気づく。また違う、良い側面です。

 

 ゲーム性は薄いです。通常の美少女ゲーと同じく選択肢を選ぶだけです。

 

 

 

 以降、自分の感じたこと 思ったこと

 ※少しネタバレ含む

 このゲームに関して一番感じたことはマゾ原理主義です。この作品は役割ということに拘っていて、場合によっては別の役割の人間が違う役割をしても一向に構わないということがあります。例えば女主人役が死ねばその役にその中の人間で補うのです。進めている内に誰が誰をやっても構わない、その役割があればいいようなニュアンスを含んだことまで言葉にしてこちらに言ってくる。お屋敷がそうして存続されてきたのを見ると、そこに集団動物である人間が作り出した社会そのものがうかがえる。そして登場人物はその集団の中の役割には逆らえず、役割に忠実に守り生きていく(例外あり)。どんないっぷをしようとも、どんないっぷを受けようとも、それが役割である以上守らなくてはならない。これでは受刑者しかいない…ではS、執行人はどこにいるのだろうか? それは集団、役割だろう。サド、マゾという関係は対立構造(そうではないと僕も思いますが)ではなく、集団の役割にひれふし、誰もがMだと言わんばかり。全体的にそんなふうな主張を感じました。

 

 

 「たろ」はその中で何も持っていない、わからなかった自分をそのお屋敷で発見し、たろになり大団円を迎えるのである。すべてはお屋敷(全)のため…。

 

 

 見えない対象に皆が皆屈服しているのだと考えると面白い構図だなと思った。マゾ原理主義に思え、何故か頷いてしまう。決して悪くない内容です。

 

 

 集団、役割に対して日々の我々はどうだろうか?

 

 

 終わりに

 登場人物をろくに紹介もしてませんが、簡単に済ませてしまいました。興奮して書きたかったものだけを書いたので幼稚なモノです。仕事している最中にいきなり書きたくなって、帰宅してからここにぶちまけました。これぞオナニー。さいこうです。このオナニーで誰かがBlack Cyc に触れてくれたら幸いです。

 

僕が知ってるマゾヒズム小説。

興味があれば。

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