草の上の記し

少女、文藝、エロゲ、音楽、呟き等々

前途は見えず、悩む今日。

 文藝、和太鼓、エロゲ、競馬、パチンコパチスロ、音楽、映画、アニメ等々やりたいみたいことが溢れかえっている私の日々だが、どこへ向かっているかがわからない。

 大成したいものは文藝と和太鼓と決まっているけれども、それでも前は霧がかっていて見えない日々である。苦しい。

 行く先はわかっているのにどこに向かっているのかわからないという逆説になっていることはさておいて続ける。

 言葉を原稿用紙に、ここのように画面に打ち込んだりとする。最近一年ぶりくらいに和太鼓に触れたが、やはり自分にはこれは無くてはならない物だと確信した。やるべきことはわかっているのに見えない。成功したいものがすぐには地点が見えないからだろうか。モヤモヤして気が落ち着かない。このモヤはなんなのかと考えると泥沼の地帯が広がる。マイナスの前途、いろんな意味での死が見えてきてしまって、足がハマってしまうのだ。その泥を振り払うためには言葉にして捨ててしまうのが一番ということを最近知れたので良しとしている。

 姉にこんなようなことを言ったらこのような言葉の雨を浴びせてくれた。生き急ぐんじゃないよ、焦るな。ウチもお前くらいの時に言われたからね…若いってこともあるよ。でも、そうやって考えることも必要だよ。もがいている証拠。そのハングリー精神、モヤモヤは野心だよ。はやく成功したい現れだよ。でも焦っては力んで手が滑ったり、力が意識していないのに大事なものを落としてはいけないよ。しっかりと待つんだよ。これは時期だからね。はやく成功する奴もいれば、遅く成功する奴もいる。だから慌てるな。でも一度失敗したからって諦めるなよ。それはお前がいう死だからな。

 聞いた後でもそのモヤは晴れなかったが、原稿用紙に向かっていたら少し晴れた。時間差で姉の言葉は効いたのか。だが、完全には消えないのである。